奇想天外なその歌の世界観は元より、椅子に座りながら掻き鳴らされるうねり踊るようなギター・リフを軸とした鉄壁のアンサンブル、何が起こるかまるで予想不能、暴走の限りを尽くす破天荒なライヴ・パフォーマンスで類い希な個性を叩き付け、全国に熱烈な支持者を続出させている嘘つきバービー。デビュー作『子供の含みぐせ』('07年3月)、『増えた1もグル』('08年1月)とミニ・アルバムの発表が続いた彼らにとって初のフル・アルバムとなる『問題のセカンド』は、そこはかとないおかしみと悲しみが見え隠れする言葉で紡がれた物語と、その物語を補完する変幻自在の楽曲で構築された異形の音楽集である。実体を掴もうとすればするほど遠のいていくような言葉の羅列が確信に満ちた演奏と邂逅した瞬間、無邪気ないたずら心に充ち満ちた物語として結実する。彼らは意図的に奇をてらっているわけでは決してない。ただ自分たちが面白いと感じる表現を純真無垢に貫いているだけだ。賛成の反対の賛成なのだ。これでいいのだ。(interview:椎名宗之)
"ジャイアン"をもっと深く掘り下げたかった
──まず何が問題かって、ファースト・アルバムであるにも関わらず『問題のセカンド』というタイトルなんですが(笑)。
岩下優介(b, vo:以下、岩):一応ファースト・アルバムってことになってますけど、僕の中ではこれがサード・アルバムなんですよ。『子供の含みぐせ』、『増えた1もグル』に続く作品なので。『子供の含みぐせ』は"嘘つきバービーってこんなモノですよ"っていう位置付けで、『ドラえもん』のキャラクターで言うところの"のび太"なんです。そこから"ジャイアン"、"スネ夫"と広がっていくとして、『増えた1もグル』で"ジャイアン"が出来たと僕は思ったわけです。『ドラえもん』にたとえるなら、ですよ? 別に"ジャイアン"そのものを作ったわけじゃなくて。
──ええ、判りますよ。
岩:で、3枚目を作る時に、次は"スネ夫"に行くよりも"ジャイアン"をもっと深く掘り下げたいと思ったんです。だから、今回のアルバムのホントのタイトルは『問題のセカンド、答えのサード』なんですよ。『増えた1もグル』と『問題のセカンド』のふたつで"ジャイアン"なんです。
──ということは、今後"しずかちゃん"が生まれることもあると?(笑)
岩:可能性はありますね。もしかしたら"メカのび太"になるかもしれないけど。1枚目という基本があって、そこからどうハズしたら面白いかな? と思って動いたのが2枚目なんです。今度の3枚目は2枚目からどう動こうか? と。ホントは1枚目からあっちに動かしたりこっちに動かしたりしたかったんですけど、今回は2枚目からいじってみようと思って。
──今回のフル・アルバム、歌詞は相変わらず解読不能で音作りも特異としか言い様のない"怪作"なんですが、非常にポップな部分もあると思うんですよ。リード・トラックの『虫こない』なんて、凄まじくポピュラリティの高い楽曲じゃないですか。
岩:まぁ、別に売れようとしたわけじゃないですけどね。ポップな部分っていうのは...どうなんですかね? そういうのは全然意識してなくて、ただ好きなようにやってるだけですよ。
──『どろろどっきんぐ』と『やわらかヘンリー』を再録したのは?
岩:単純に、フル・アルバムともなれば聴かれる機会も多くなるじゃないですか。だから、代表者ですよ。代表者集まれ! って感じで。
──確かに、ライヴでは立派な代表者ですよね(笑)。
岩:『ヘンリー』はそんなにやらないですけどね。『虫こない』も、今回のツアーでは敢えてやってないんですよ。
──そんな、会場限定シングルとしても発売しているのに(笑)。あのシングルのカップリング、『アクセル一発ズガイコツでた』はライヴでお馴染みのドライヴ感に溢れたナンバーですけど、てっきりオリジナル曲かと思いきや、HOT ROD ROLLERSというバンドのカヴァーだそうで。
岩:僕らが神戸に住んでた時に仲良くしてたバンドなんです。もう解散しちゃったんですけど。"ちょっとやってみようか"から始まって、"シングルに入れてみようか"になって入れたっていう。ほとんどアレンジもいじってないんですよ。
──こういうカヴァー自体、珍しいことですよね?
岩:でも、ライヴで『千の風になって』をやったりしたこともありましたからね。
こういうのをやったらビックリするやろね?
──ぶっ続けで演奏される『裏次郎』と『表太郎』をわざわざ2曲に分けたりするような発想は、一体どこから生まれるんでしょうか。
岩:『千の風になって』をカヴァーするのもそうなんですけど、いたずら好きなんで。こういうのをやったらビックリするやろね? っていうのをいつも考えてるんです。この『裏次郎』と『表太郎』をずっとリピートして聴くと、永遠に終わらないんですよ。『表太郎』の最後の"パッパッパッパッ"が『裏次郎』の頭にちゃんと繋がるようになってるんです。
──どちらが裏で表なのか判らなくなりますね(笑)。ライヴでも繋げて演奏されるんですか。
岩:まぁ、そこも何かしらのいたずらをしますよ。
──『どろろどっきんぐ』は祭り囃子とロックンロールのハイブリッド曲ですけど、物心が付く前に擦り込まれた祭り囃子のように、どこか懐かしい匂いが嘘つきバービーの楽曲にはありますよね。
岩:そこが基本になってるんですよ。そこからいろいろとハズしてみたりしてるんです。アルバムごとのテーマ自体は違うんですけどね。1枚目は子供がテーマで、2枚目はグロ面白い感じで、今度のは切なさをテーマにしてみたんです。
──切なさ、ですか。
岩:めっちゃ切ないでっせぇ、みたいなのは僕にとって全然切なくないんです。たとえて言うなら、『天才バカボン』に出てくるウナギイヌが小さい頃にいじめられてたとか聞くと、あの明るさがもの凄く切なく感じるんですよ。だから、表面上は明るい歌詞と曲調だけど、裏ストーリーとして切なさがあるっていうのが前提としてあるんです。
──今、『天才バカボン』と聞いて腑に落ちました。『スナック「おおぬか」』の"正解の反対のそのまた反対の"という歌詞、あれを聴いてすぐに思い浮かんだのが"賛成の反対なのだ"っていうバカボンのパパの言葉でしたから。
岩:あの世界観は好きですね。滑稽でありながら哀れでもあって。それをひとつのテーマとして作って音にしたらこうなったって言うか。
──なるほど。"かぶれたかぶれてないの言い合いが絶えない"(『絶景かな絶景かな』)の中にも切なさがあると。
岩:うん、ありますよ。
──この『絶景かな絶景かな』はとりわけアンサンブルの妙が楽しめる楽曲なんですが、音作りはいつもどのように進めているんですか。
岩:基本的には僕が文章で書いたストーリーを千布(千布寿也:g)と茂(豊田茂:ds)に渡して、それを受けて彼らがリフなりリズム・パターンを作ってくる。それに対して、「いや、そうじゃなくて、登場人物はババァだ」みたいな伝え方をするとちゃんと伝わるんです。そういう作り方が一番多いですね。一緒に演奏しながら「これでやろう」っていう時もありますけど。
──歌詞が先にあることが多いというわけですか。
岩:いや、歌詞ではなくストーリーとかイメージです。
──それって、岩下さんがブログで書いている"即興童話でお勉強"に近い感じですか。「家族から適当に3つのキー単語を言ってもらい、それらの単語を絡めながら即興で童話を作りなさい」っていう。
岩:作り方は全部そうですね。曲はもちろん、PVもジャケットもそんな感じです。何個かあるキーワードを、どうこじつけて面白くするかっていうのが得意です。
──『ガキの使いやあらへんで!!』のフリートークで、視聴者からのムチャ振りハガキに松本人志が蕩々と答える感じに近いですね。
岩:そうですね。『大喜利』とかも好きなんですよ。テーマをひとつ決めてもらって、そこからいじるのが大好きなんです。
──作詞の場合は、自分でお題を振って自分で答える図式ですよね?
岩:まぁ、問題を作る側と答える側で全然別の人間になれますから。道を歩いとったりして、ここに"落とし穴"があったらどうなるやろ? っていうのから派生させたりすることが多いですね。で、入れたい単語がたとえば"斧"と"水ぶくれ"だとしたら、その2つの単語と"落とし穴"をどう絡ませていくかを考えて作っていきます。
明るさの向こうにあるもの悲しさ
──ジャケットまでそういう発想法だとは思いませんでしたが、これまでの作品にもそれぞれお題があったわけですね。
岩:アートワークを手掛ける人にもストーリーを渡してるんですよ。メールで長い文章をダーッと送って。1枚目なら子供が水を吐き出すのを使いたかったんです。どういうお題からそうなったのかは忘れましたけど、ちゃんとストーリーはありましたね。2枚目は女子高生と逆さです。今度のも女子高生で、2枚目と繋がってますよ、というのをふんわり出してるんですよ。
──ああ、ふんわり出てますね(笑)。と言うか、今度の女子高生は2人に増えた上に鳥人間ですけど(笑)。
岩:手前にも鳥がいて、一応これ、師匠と弟子たちっていうイメージなんです。中ジャケにストーリーが書いてあるんですけど、それは切ない感じになってるんですよ。そう感じるのは僕だけかもしれないけど。
──岩下さんの描くストーリーをメンバーなりデザイナーなりが共有しているからこそ世界観がブレないんでしょうね。
岩:世界観がブレないようにしてるっていう意識はないですけど。ただ自分が面白いと思うストーリーを出してる感じです。今度のアルバムに入ってる曲は全部、僕なりにもの悲しさのあるストーリーにしたつもりなんですよ。
──『アマミとニガミ』は、"あまみ"と"にがみ"の会話を軸に話が進んでいって、最後だけ「君と僕は会うこともない」と同じ言葉を発するところにもの悲しさを感じますけれど。
岩:これは、オッサンが"あまみ"と"にがみ"という2つの人形をひとりで演じ分けてるイメージなんです。
──うわ、それはとてつもない悲哀を感じますね(笑)。
岩:途中で"にごり声の僕が、2つの声を使い分けるのは難しい"っていう一文もありますし。
──確かにもの悲しいですね。オッサンがひとりで「きこえる?」「きこえてない」っていうやり取りを延々やっているわけですから。
岩:でも、滑稽じゃないですか? そういうことなんですよ。
──「またがる?」「まだちいさい」というやり取りからは、男女の情交を連想してしまいましたけど。
岩:エロな言葉に関しては、今までも使ってないと思ってるんですよね。自分の好きな単語がたまたまエロを連想させるのかな? とは思いますけど。深読みされて「エロい歌詞ですね」とか言われることが結構あるんですけど、自分ではそんなつもりは一切ないんです。
──そうなんですか。"やわらかい割れ目から強引に押し込んでいく"という一節のある『やわらかヘンリー』も、ちょっとした春歌なのかなと思っていました。
岩:そういう意識は毛頭ないです。「またがる?」「まだちいさい」なんて、犬の話ですからね。銀河を操るために犬をでかくするだけの話なんですよ。
──じゃあ、"ペスを巨大化したい"っていうのも...(笑)。
岩:犬の話です。エロい発想をしてるからそう思うんですよ。別にエロを禁じ手にしてるわけじゃないんですけど、今のところエロに対して面白味を感じないんです。まぁ、判らないですよ? 次のアルバムがめちゃくちゃエロいものになるかもしれないし、単純に今の自分の中では流行ってないだけで。それよりも今はもの悲しさなんですよ。
──不穏な空気が渦巻く『ふえるの魔法』は、曲調からダイレクトにもの悲しさを感じますね。間奏に入るカズーが不穏な空気を増幅させていて。
岩:途中、ちょっと気持ち悪いかな? とも思ったんですよね。結果的に悲しい感じにはなりましたけど。
──"朝に親友が現れる"のも、もの悲しい?
岩:それは設定です。朝に現れた親友が"増えるの魔法"をかけたっていう設定で、さぁそこからどうなるか? っていう僕の大喜利が始まるんですよ。
脚本家が感情を爆発させるライヴ
──嘘つきバービーの楽曲はどれも浮世離れした感じがあるので、"魔法"という非現実的な力はモチーフとしてぴったりな気がしますけど。
岩:どうですかね? 僕はただ、魔法が使えるっていう設定でストーリーを書いてるだけです。まぁ、別に魔法を信じてるわけじゃないですけど、方向性としては好きですね。日常ではあり得ない設定ですから。
──日常では有り得ないと言えば、嘘つきバービーのライヴこそその最たるものですよね。3人の特異な風貌に加えて千布さんは椅子に座りっぱなしだし、見世物小屋で珍品や奇獣を見る感覚にちょっと近い気がするんですよ。岩下さんも不意にブチ切れたかと思えば、妙に穏やかに微笑んでいる時もあったり、終始目が離せないですし。
岩:僕は妄想に耽るクセがあって、ライヴ中でもひとりで勝手に面白がったり、想像してイラッとしたりしてるんでしょうね。別にお客さんを見てどうこうとか、音が合わんやんとか、そういうことじゃなくて。あくまで自分の中だけで"ブッ"ておかしくなる時があるんですよ。"この空気、何やん?"とか、"何でこんな所で唄ってるんだろう?"とか思うんです。もしくは"親、元気かな?"とか。
──まぁ、親孝行は大事ですから(笑)。
岩:歌詞を書く時は、ストーリーを書いた人になりきって"こいつだったらどう書くかな?"って考えるんですよ。でも、ライヴは岩下優介がその歌詞を読んでるだけなんです。だから、完全に自分の感情のままにライヴをやってます。
──表現する立場によって人格が分かれているわけですね。
岩:別人格ですね。今の僕と、書き手としての僕と、作り手としての僕っていうのがあって、ライヴは書き手としての僕が感情を爆発させてます。
──映画にたとえるなら、監督と脚本家と役者が岩下さんの中で一緒くたになっている、と。
岩:それに近い感じですね。僕の場合は脚本家がライヴをやってるんですよ。
──クドカン(宮藤官九郎)みたいな感じですか?(笑)
岩:クドカンは演者として舞台に立って、そこで決められたセリフを喋るじゃないですか。僕は演者ではなく脚本家としてステージに立ってるけど、脚本家・岩下優介としての感情を吐き出してるだけなんですよ。
──脚本家はプロの役者じゃないから、その立ち居振る舞いはぎこちない...それが結果的にライヴでの暴走に繋がるということでしょうか。
岩:いや、嘘つきバービーに役者・岩下優介は存在しませんよ。脚本家と普段の岩下優介しかいません。監督はいない。僕だけじゃなく千布と茂も脚本家だし、曲の登場人物が演者なんです。
──岩下さんの中で"演じる"という概念は端からない?
岩:自らが演じることはないですね。ライヴの時は、図らずもそうなってしまうんでしょうね。感情だけでやってますから。そのぶん、作品は感情だけではやってないと言うか。ちょっとややこしい話ですけど。
──感情だけでは成り立たない作品作りにおいては、判りづらい表現を噛み砕いて表すように意識はしていますか。
岩:聴く側の立場に立って、ストーリー的にちょっと判りにくい時はいじったりしますよ。やっぱりそのストーリーを理解してもらえないと面白くないと僕は思ってるので。それは小説家と一緒で、単純に使いたい言葉を並べても伝わらない部分もあると思うし。
──まぁ、それでも嘘つきバービーの世界観を理解するにはかなりハードルが高いと思いますけど(笑)。
岩:歌詞を読んでもらえれば理解できるはずだと思うんですけどね。
音楽あってのストーリー、ストーリーあっての音楽
──でも、10人いたら10通りのいろんな解釈があってもいいんじゃないですか?
岩:いや、ストーリーがちゃんと伝わった上でどう感じるかは聴き手に委ねますけど、ストーリーの解釈がいろいろあるのは僕は好まないですね。もちろん、曲によってはわざと判りにくくしてるものもありますけど。その判りにくさが面白いと単純に自分が思うので。
──"オシャレに光る赤血球"(『オシャレなクランケ』)も相当判りにくいですよね(笑)。
岩:それはヒーローの話なんですよ。ゴレンジャーみたいなヒーローって、ちょっとイタイじゃないですか? あんな全身タイツみたいなのを着て、自分でヒーローだと名乗ってるわけだから。それは病的だろうってことで、"おしゃれな病気の数名"なわけです。
──正義の使者みたいなものに対する嫌悪感とかは?
岩:そこに僕の感情は入ってませんから、その通りの歌詞です。僕はストーリーを淡々と書いてるだけなので、この曲を通じて世界平和を訴えたいとか、愛とはこういうものだと伝えたいとか、そういうのは一切ないですね。
──やっぱり、自身の喜怒哀楽をストレートに歌詞へ投影することに興味はないですか。
岩:僕はストーリーを書くのが好きなんですよ。そこに自分の感情なんて要らない。感情を入れることが格好悪いっていうことじゃなくて、単純にストーリーを書きたいだけなんです。しかも、ライヴで感情を出せる。それが目的で音楽をやってるんですよ。それができなければ、別に音楽をやらなくてもいいと思ってるし。
──単純にストーリーを描くだけなら作家になればいいわけで、そのストーリーを音楽で表現することが岩下さんにとっては大事なんですよね。
岩:そうですね。作家にはライヴに相当するものがないし、ただ書くだけの作業なら面白くない。書き手としての感情が出せるライヴという場所があるのは音楽だけだし、僕らみたいなことをやってる人も少ないと思うし。ストーリーに重きを置いてるミュージシャンを僕は余り知りませんから。
──岩下さんがシンパシーを感じる同世代のバンドはいますか?
岩:僕は普段、余り音楽を聴かないんですよ。それよりも本や映画から刺激を受けることのほうが多いですね。純粋に格好いいなと思える音楽もありますけど、それはミュージシャンとして格好いいと思うだけで、そこから何かを採り入れようと考えたり、深い感銘を受けることは少ないですね。だから突き詰めて言うと、僕らはミュージシャンではないのかもしれないです。もちろん、音楽が一番理想的な表現方法なんですよ。でも、他のミュージシャンの方とは違うものの比重が高いんだと思います。
──絵本の付いたCDとか、嘘つきバービーにはうってつけのアイテムかもしれませんね。視覚的効果が聴き手の想像力を制限してしまうかもしれませんけど。
岩:面白いでしょうね。でも、今は音楽が一番大きいものであるほうが僕は面白いと思っているので、絵本という選択肢はないですけど。音楽あってのストーリー、ストーリーあっての音楽っていうふたつのバランスが今の僕にはちょうどいい。
──今後の方向性は神のみぞ知るといった感じでしょうか。
岩:自分が面白いと思ったことをやるだけですね。それが僕は一番得意なんです。僕と千布と茂が面白いと思ったことをやる。ただそれだけなので、方向性云々は判りません。場合によっては次のアルバムで思いきりヒップホップをやってるかもしれないし。その時点で3人が面白いと思うことなら何でもやりますよ。