満足することがないから20年間突っ走ってこられた
De+LAXの榊原秀樹がフロントマンを務めるカリキュラマシーンが、前作『THIS IS LOVE SONG』から僅か10ヶ月というインターバルを置いて通算5作目となるフル・アルバム『SPEED』を完成させた。異なる音楽的要素を大胆に組み合わせる秀でたハイブリッド感覚はより研ぎ澄まされ、珠玉のメロディに重きを置いた楽曲のクオリティは過去随一。自由奔放な遊び心と飽くなき実験精神に基づいた挑発的な楽曲と、極めてスタンダード性の高い楽曲とのバランスも素晴らしく、本作がバンド史上最高傑作であることは疑いの余地がないだろう。De+LAXのデビューから20周年を迎える今年は不惑の歳にもなる榊原だが、その表現欲求は涸れることを知らない。彼を突き動かす最大の原動力とは何なのか? また、20年前には到底考えられなかった激変の続く現在の音楽シーンに対する所感とは? 人生の半分以上を音楽に懸けてきた男の静かなる矜持がこのインタビューから読み取れるはずである。(interview:椎名宗之)
カリキュラ流スタンダード性の追求
──今年の1月に初期音源をまとめたベスト・アルバム『CURRICULU MACHINE』が発表されましたが、これはカリキュラマシーンの活動を総括する意図があったんでしょうか。
榊原:初期の音源は自主で出したもので、ライヴ会場やウェブでの販売に限定したものだったんですよ。ちゃんと流通を使って出したことがなかったし、今年は僕がDe+LAXでデビューして20周年という節目の年でもあるので、アーカイヴ作品としてまとめてみようかというところから話が始まったんです。
──前作『THIS IS LOVE SONG』でカリキュラマシーンを知った新しいリスナーに対するナヴィゲート的作品としての意味合いもあるのかなと思ったんですが。
榊原:そうですね。結成当初からこういう方向性だったゆえに『THIS IS LOVE SONG』に辿り着いたんだというのが判ってもらえると思うんですよ。シンセやプログラミングを大胆に採り入れたコンセプトがまずありきのバンドだということが。だから『CURRICULU MACHINE』を聴いてもらえれば、今日に至るまでのカリキュラの変遷がより深く理解できるんじゃないかな。こう見えて、結成当初から相当メチャクチャなことをやっていたんですよ。
──それはやはり、De+LAXというロック・バンドの王道を往く音楽性が先にあってのことですよね。
榊原:そこは意識的でしたね。コードの編成を少なくしたり、余り歌モノっぽくならないようにしたし、もっと音色を聴かせるような方向性にしたかった。それでいて攻撃的で、枠にとらわれず奔放に行くと言うか。そういうのが最初に発想の主軸としてありましたね。カリキュラをやろうと思い立ったのは、『ODELAY』とかベックのアルバムを聴いて打ちのめされたからなんですよ。ああいういろんな音楽的要素を融合させたサウンドを聴いて、曲作りに対する考え方が根底から覆されたんです。ベックのハイブリッド感覚は、カリキュラの発想において凄く重要なものでしたね。
──前作のインタビューで、「次のアルバムは自分達なりのロックを追求した、もうちょっとハードな方向に持っていきたい」と言及されていましたが、ハードなロックさはありつつも、如何にもカリキュラらしいヴァラエティに富んだ楽曲が揃った内容になりましたね。
榊原:最初はロック色の強いものにしようと考えていたんですけど、そういうのはいつでも作れるなと思って。それよりも、『THIS IS LOVE SONG』からもっと視野を広げたものを表現したかったんですよ。それが今回の『SPEED』という作品で、その制作過程において自分なりのロックに特化した次なるアルバムのコンセプトがより明確になったんです。そういう経験は初めてでしたね。いつも1枚のアルバムを完全燃焼して作るから、そこまでの余裕がないんですよ(笑)。
──とは言え、『SPEED』は前作に比べてロック的な振り幅の大きいアルバムですよね。メロディの輪郭がくっきりした楽曲が多いと言うか、いわゆる歌モノとしての純度がグッと増した気がするんですよ。
榊原:そうかもしれませんね。気軽に鼻歌で唄えるメロディを意識しましたから。その一方で、自分の中で新たなチャレンジもしているんですよ。
──具体的に言うとどんな部分ですか。
榊原:何よりもまず、ちゃんとしたアルバムを作りたかったんです。今までがちゃんとしていなかったという意味ではなくて...何て言うのかな、1曲1曲のクオリティが高くて、その1曲自体で世界観がちゃんと成立したものを作りたかった。収録曲がどれも似たような雰囲気で、1曲1曲が突き抜けていないようなアルバムにはしたくなかったんですよ。カリキュラなりのスタンダード性を1曲ごとに追求したという言い方もできるかもしれない。
──シンセの味付けが過不足なく、腹八分目のアレンジなのが功を奏しているのでは?
榊原:キーボードは最初に僕がある程度入れていくんですけど、後はe.o.e.にお任せだったんです。彼とも随分と長く共同作業をしているし、特に言わなくても適度なサジ加減は互いに判り合えているんでしょうね。
相反する両極があるからこそ面白い
──ポップなサジ加減もまた然りですよね。1曲目の「20CENTURY GUHS」から、これをポップと言わずして何をポップと呼ぶんだ!? と言わんばかりのキャッチーさが全開で。
榊原:ありがとうございます。「20CENTURY GUHS」は、70年代後半から80年代初頭のハード・ロックっぽいリフの使い方や曲の構成を意識したんですよね。シン・リジーやチープ・トリックとかのイメージですね。
──ギターのリフを全面に押し出した構成は、最後の「FRUSTRATE」(PS2ソフト『咎狗の血〜TRUE BLOOD〜』のエンディング・テーマ)にも同じことが言えますよね。
榊原:そうですね。取り立ててロックにこだわっているわけでもないんですけど、自分が影響を受けた音楽はやっぱりそういうものだし、今の時代に迎合して誰かと似たような音楽をやっても意味がないですからね。こうして自分がメインに立った作品作りができる環境にあるのなら、思う存分自由奔放にやりたいし。
──感受性が最も柔軟である思春期に聴き込んだロックのリフは、脳の記憶は薄れても指先が覚えているんじゃないですか。
榊原:うん、自然と出てくるものですよ。それはもう消しようがないし、自分の個性だと割り切るほかないですね。
──本作には趣きの異なる2曲のインストが随所に挟まれています。2曲目の「ALL YOU NEED IS LOVE」と6曲目の「TENSION」がそれで、前者はシンセを全面にフィーチュアした穏やかな表情のナンバー、後者はタイトルが示す通り張り詰めた空気のある性急なナンバーですね。
榊原:インストはヘンな色が付かなくていいんですよね。車に乗ってる時でも、窓から見える景色にもBGMとして溶け込みやすいじゃないですか。「ALL YOU NEED IS LOVE」は聴いてもらえれば気持ちが自然と明るくなる曲だと思うし、聴き手の情感に浸透していきやすいんじゃないかな。
──聴き心地の良い「ALL YOU NEED IS LOVE」のような曲がある一方で、挑発的とも思える「TENSION」のような曲があるのがカリキュラマシーンの大きな持ち味ですよね。
榊原:その両極があってこそ面白いんですよ。極端に歪ませる曲もあれば、耳心地の良い曲もある。そのコントラストを意識的に付けることで立体的な音像にしたいんです。
──硬軟如何様なサウンドでも、囁くように唄われる秀樹さんの声と有機的に溶け合っているのが見事ですよね。
榊原:シャウト系の唄い方が似合わないのは自分でも判ってますからね(笑)。闇雲に叫ぶのは自分でも恥ずかしいんですよ。そういうところは嘘を付けないんですね。あと、演奏がヘヴィなのに歌がヘナチョコっていうマイ・ブラッディ・ヴァレンタインみたいなバランス感覚が好きなんです。それなら自分の歌も曲に馴染みやすいと思うし。
──秀樹さんの歌声は独特の味があって、中毒性が高いですよね。
榊原:いや、自分の声はそんなにいいとは思わないし、歌も上手くないですから(笑)。自分としては楽器のひとつとして捉えていますね。
──前作には四季の中で唯一"秋"をテーマにした曲がなかったですが、今回は遂に出来ましたね、「秋色かぐや姫」という曲が。
榊原:無理矢理作りましたよ(笑)。和の情緒を感じさせる雅な歌詞と激しいギター・リフを組み合わせたら面白いだろうと思って。カリキュラとしても新しいタイプの曲ですね。アップ・テンポだからライヴ映えもするんじゃないかな。
──「Heaven from message」というディスコ・チューンが前作にもありましたけど、本作の「WE GOT THE BEAT」は70年代のソウル・ミュージックに真正面から取り組んだ意欲作ですね。
榊原:こういうソウルっぽい唄い方も新鮮でしたね。初めてラップにも取り組んでみたし。まぁ、さすがにラップは自分にはできないので、MCカンジっていう僕のギター・テクニシャンに頼んだんですけど。彼が昔ヒップホップをやっていたと言うので。コーラスは、初期の頃から手伝ってもらっているいとうかなこちゃんにお願いしたんです。彼女の声は僕の声と相性もいいし、凄く好きなんですよ。
ストレートを投げた後はカーヴを投げたくなる
──楽曲の青写真と言うか、イメージしていたブラック・ミュージックは具体的に何かあったんですか。
榊原:クラッシュがカヴァーしていたブラック・ミュージックのニュアンスなんですよ、音色としては。時代で言えば70年代後半。クラッシュは、ソウルまで行かないまでもレゲエやダブに果敢に取り組んでいたじゃないですか。だから、ストレートなブラック・ミュージックではなく、白人が咀嚼したブラック・ミュージックの匂いを出したかったんですね。それを自分達のテイストでやったらどうなるかなと思って。想像していた以上に上手く形に出来たと思うし、手応えは充分に感じていますよ。
──この曲の前が「秋色かぐや姫」だから、雅な世界からいきなりソウル・ミュージックへ行くという振り幅が凄まじいなと思ったんですが(笑)。
榊原:ピッチャーで言えば、ストレートを投げた後はカーヴを投げたくなるんですよ。そこを上手く使い分けて、決して一筋縄では行かないようにしたいんです。でも、最後は必ずストレートで締めたいんですけどね。
──クオリティの高い楽曲が揃った本作の中でも、誉れ高き名曲と個人的に挙げたいのが5曲目の「チャリンコベイビー」なんですよ。アコースティックを基調にしたセンチメンタルな楽曲で。この歌詞は秀樹さんの思春期を回想したものなんですか。
榊原:そういう部分もありますね。明言は避けますけど、舞台は中学校なんですよ。中学生の頃って成長が著しいじゃないですか。入学当時に買う制服は、成長を見越して一回り大きいサイズを選んだりするでしょう? その時期における男女の成長の違いって言うのな。女の子はどんどん大人びていって、それを見てハッとする瞬間を描きたかった。こういう回想的な歌詞も自分としては珍しいと思いますよ。スタッフからは「遂にネタ切れか?」って言われましたから(笑)。
──でも確かに、14、15歳の男子は身体の成長とは裏腹に発想は幼稚ですよね(笑)。同い年の女子と比べたら圧倒的に。
榊原:着実に大人の女性へと成長していく女子に置いていかれるような男子の切なさと言うか、そういうのがテーマなんです。自分でもいい曲が出来たと思いますね。ここが勝負!って時にこういう曲を作れないのが残念ですけど(笑)。まぁ、狙って作ろうと思っても、どこかわざとらしくなっちゃうんですけどね。
──同じく哀切メロディ系の曲としては、「ベルベットの憂鬱」というコーラス・ワークがとても美しいナンバーもありますね。
榊原:シャッフルっぽい曲を今までやったことがなかったなと思って。ループでハマる要素が少ないから、わざと手を付けなかったところもあるんですよ。でも、いろんなリズムをやっている今なら上手く形に出来るんじゃないかと思って挑戦してみたんです。「ベルベットの憂鬱」を完成できたことで、次なるアルバムのコンセプトが見えてきたんですよ。さっきも言ったように、ロック色の強いアルバムはいつでも作れるんだけれども、コンセプト付けがはっきりしていない時にそういうアルバムを作っても中途半端になるだけだと思ったんです。
──「RHAPSODY IN BLUE」はラヴ・ソングをテーマに据えた前作があってこその楽曲ですよね。埋め難い男女の距離が秀樹さん独自の視点で描かれていて。
榊原:内容的に濃すぎるかな? とも思ったんですけどね。ラヴ・ソングと言いながらも、僕の書くのはちょっとひねた表現と言うか、直接的にアイ・ラヴ・ユーを伝える類のものではないんですよ。この曲もそんな感じで、男と女の恋愛に対する考え方の違い、愛し方の違いを唄っているんです。これは私見ですけど、女性は先のことを余り深く考えない。だから"今はこうしたい"という感情がいつも優先される。男性はまず理論付けから入るんですよ。行く先を見据えて今やるべきことをする。そうやってすれ違ったままの男女の距離がどうも納得できないと思って(笑)。結局、男性は女性の直感に基づいた言動に折れるしかないわけですよ。まぁ、例外のない法則はないから、一概には言えませんけどね。あくまで私見です(笑)。
──そういった秀樹さん独自の哲学が、女性ヴォーカルとのユニゾンで唄われているわけですね。
榊原:ええ。タイトルはガーシュインの名曲からの拝借で、凄くおこがましいですけど。
自分の居場所は自分で作ればいい
──ただ一般的には、男性がいつも妄想しがちな一方で、女性は何事にも現実的という言い方をされることが多いですよね。
榊原:確かに。男性は夢を追うばかりで、現実とのバランスが成り立っていないんですよね。いつも「ああしたい、こうしたい」って暑苦しく夢を語るばかりで(笑)。語ってばかりいないで行動に移せよ! って思いますけど。だから、僕は女性の視点も理解ができるほうなのかもしれない。ただ、それでも男としては"これだけは譲れん!"っていうのがある(笑)。
──昔のロックは今よりもっとマッチョイズムがはびこっていたように思いますけどね。
榊原:だいぶ時代の流れが変わりましたよね。若い男性は基本的にみんな優しい。それはいいと思うんだけど、だがしかし、ですよ。それでも男子の本懐として絶対に譲れないものがあるだろう、と。それが僕の場合は音楽であるし、生きてきた過程において身に付けた趣味嗜好や価値観があるじゃないですか。そういうのを女性にも認めて欲しいですよね。余り大きな声では言えないけど(笑)。
──同感ですよ。若いバンドマンも優男風情が増えましたからね。
榊原:僕が若い人達に言えることがあるとすれば、女性に媚びへつらって自分の価値観を曲げてるようじゃダメだということですかね。自分のアイデンティティに誇りを持って、女性と対等に、もしくは対等以上にしっかりと向き合わないとね。ヒモなんてやってちゃダメですよ(笑)。自分の居場所は自分で作らないと。僕もそうやってカリキュラを始めたんだから。そういうことをこの「RHAPSODY IN BLUE」で言いたかったのかもしれない。女性に対してではなく、同胞である男性に向けてね。
──「STUPID」はフル・アルバムならではの実験性に富んだナンバーですね。レゲエ・ミーツ・プログラミングの装いで。
榊原:リズムはe.o.e.に任せたんですけど、ギターのリフやカッティングはそのまま活かした曲なんですよ。アルバムのバランス的にはこういう遊んでる曲があってもいいかなと思って。歌詞も遊び心をふんだんに盛り込んでいるし。
──ロック・スターを揶揄するような、自虐的なセンテンスもありますよね。当然、秀樹さん一流のユーモアなんでしょうけど。
榊原:浮ついてると揚げ足を取られるぞ、って言うかね。ロック・スターを気取ったところで、中身が伴わなければどうしようもないんだぞ、みたいなニュアンスですね。もちろんこれは自戒を込めて唄っているんですよ。
──近年はロック・スター然としたミュージシャンが少なくなってきたので、僕は逆にもっと気取って欲しいくらいなんですけどね。
榊原:スターらしいスターは確かに少なくなりましたよね。まぁ、そういう時代なのかな。なんで少なくなったのかは判らない。だから、判らないことは判らないままにしておこうと思って。若い人のことをあれこれ分析して、僕達との違いを挙げても余り意味がない気がするんですよ。だとすれば、自分は自分のできることをやるしかない。
──ロック20年選手である秀樹さんが「STUPID」のような歌詞を唄うのがパラドックスとして面白いですよね。
榊原:それは僕が中途半端な位置にいるからじゃないかな。De+LAXのような確立された世界とインディーの最前線のどちらも見ることができるから。自分ではロック・スターだなんていう意識はなかったけど、De+LAXがデビューした頃は空前のバンド・ブームでしたからね。それも時代だったんでしょう。こういう言い方をすると年寄りみたいに感じるけれど、バンドの聴き方も変わってきましたよね。20年前はひとつのバンドが音楽的にも人間的にも成長していく様をずっと見守っていくようなところがあった。クラッシュがパンクだけではなくレゲエやダブを採り入れていく過程が僕には面白かったし、ずっと追い掛けていましたから。第一、1枚のアルバムを聴く行為自体が20年前とはだいぶ違いますよね。
──ステレオの前に座ってそのアルバムと対峙して聴く行為は、確かに減ってきたのかもしれません。音楽に自分の時間を専有されることが稀薄な昨今ではありますよね。
榊原:携帯電話でダウンロードして音楽を聴くのが主流になりつつあるわけでしょう? 僕自身もアルバム1枚をじっくりと聴き込む機会が少なくなったし。でもだからこそ、今回のアルバムは楽曲ごとのコントラストを強めたんですよ。iPodのような携帯型プレイヤーに曲を入れて、アトランダムに統一性のないいろんな曲がヘッドフォンから流れてくる...そういうイメージのアルバムなんです。
何物にもとらわれないロックの在り方
──と言うことは、DJ的な発想に基づいたアルバムとも言えそうですね。
榊原:そうかもしれないですね。ただもちろん、一本筋が通ったものがある中でのバランスの取り方をしていますけど。そこは慎重にならないとダメだし、一番重要なところですよね。
──これだけヴァラエティに富んだ楽曲が揃いながらも不思議と統一感があるように感じるのは、良質なメロディが太い芯としてあるからでしょうか。
榊原:そういうことでしょうね。自分が紡ぎ出すメロディは揺るぎない個性だし、誰とも似ていないと思うんですよ。そこが軸としてあった上で、やりすぎずやらなさすぎずのバランスでアレンジを試みるのが望ましい。必要以上にアレンジを凝ったり冗長になると、何度も聴けなくなってしまうんですよね。だから1曲の分数は4分ちょっとに抑えて、また聴きたくなるようにしているんです。アルバムのトータル・タイムも10曲で35分程度だし。全曲を通して聴いて、少々物足りなさを覚えるくらいが丁度いいのかなと思って。それで何度も繰り返し聴いてくれたら嬉しいな、と。
──ちなみに、『SPEED』というタイトルにはどんな意味が込められているんですか。
榊原:歌詞に"SPEED"という言葉が出てくる曲がいくつかあるんですよ。時間的な速度という意味ではなく、感情の起伏を表すものの喩えとして"SPEED"という言葉を使っているんです。喜怒哀楽の感情が移りゆく瞬間、瞬間のスピードと言うか。どちらかと言えば内面的な意味合いですね。
──ジャケットは『咎狗の血』の原画で知られる倉花千夏さんによるイラストですね。
榊原:ゲーム音楽のサントラをカリキュラが手掛けてきたご縁ですね。もう4年ほどゲーム音楽の制作をやっているんですけど、ゲーム音楽のファンはとてもピュアだし、反応もダイレクトに伝えてくれるんですよ。
──今年はDe+LAXでデビューして20周年という節目の年ですが、率直なところどんな20年間でしたか。
榊原:20年前は漠然とバンドを続けられればいいなと思う程度で、20年後のことなんて何も考えてなかったですね。バンドを続けることがこんなに大変だとは思ってもみなかったです。ただ、音楽だけは絶対にやめたくなかった。やめるのは簡単だし、裕福な生活を送りたければバンドなんてやらないほうがいいのかもしれない。でも、僕にはまだまだ表現したいことがあるし、有り難いことにそれを喜んでくれるオーディエンスがいてくれる。そういう人達をガッカリさせたくないし、いつも凄く感謝しています。彼らの存在があってこそ自分の表現が成り立つわけですから。
──De+LAXを軸に置きながらカリキュラマシーンやゲーム音楽なども手掛ける秀樹さんの幅広い活動を見ると、その表現欲求が尽きることのない何よりの証のように感じますね。
榊原:満足することがないからでしょうね。まだ表現しきれていないことがたくさんありますから。カリキュラは特に未完成の良さがあるバンドだし、どこに行くか判らない面白さが常にあるんです。そういうことの積み重ねで突っ走ってきた20年だったんじゃないかと思いますね。次のカリキュラのアルバムは自分なりのロックを極めたものに...いや、どうかな(笑)。
──秀樹さんの中でロックの定義とはどんなものですか。
榊原:何物にもとらわれないこと。ひとつのことにとらわれずに突き進んでいく、負けない強さを持ったものと言うか。そういう在り方って、実はカリキュラマシーンというバンドそのものなんですよね。音楽に対していい意味で怖さがないんでしょうね。"表現したいのはこれだ!"という絶対の自信と潔さがあるんだと思う。まぁ、その前に何も持っていないのかもしれないけど(笑)。