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【ライブレポート】outside yoshinoとタテタカコがLast Waltz in LOFTで見せつけた歌の底力

2018.04.13

_68A9126.jpgLAST WALTZ Restarting, Prologue to NEW LOFT
2018年4月11日(水)Last Waltz in LOFT
出演:outside yoshino / タテタカコ


推理作家、シャンソン歌手として活躍した故・戸川昌子がオーナーを務めた伝説のカルチャー・スポット「青い部屋」のあった場所を引き継いだ「Last Waltz」が今春「Last Waltz in LOFT」(仮称)として生まれ変わり、『LAST WALTZ Restarting, Prologue to NEW LOFT』と題したリニューアルプレオープン・イベントが開催中だ。

従来のLast Waltzと老舗ライブハウスLOFTのカラーが混在したこのオープニング・イベントのなかでも一際注目を集めたのが、と言うよりも個人的に鑑賞を心待ちにしていたのが、eastern youthの吉野寿のソロ・プロジェクトであるoutside yoshino(レコーディング時はbedside yoshino)と長野県飯田市在住のシンガーソングライター・タテタカコの共演である。

eastern youth主催の『極東最前線58〜心細い時にうたう歌〜』(2005年12月)や飯田市の正永寺で行なわれた『稜線の彼方へ〜鍵弦自在〜』(2006年3月)、タテタカコのツアー『敗者復活の歌』松本市公演(2008年5月)など数々のライブ、イベントで共演を果たして交流を深めてきた両者だが、都内近郊での共演ライブは久々ということもあり、当日は後方の立見席まで大入り満員(前方は着席)。期待値の高さが窺えた。

_68A9003.jpg先攻はタテタカコで、グランドピアノと歌だけという最小単位の表現で聴かせるいつもながらの弾き語りステージ。登壇するや、客席、ピアノに向けて祈りを込めた会釈をし、その場を厳粛な雰囲気に一変させる存在感に思わず息を呑むが、ステージ上にあった吉野のギターケースに足が当たってしまったことに低頭平身してお詫びする姿のギャップがなんだかおかしい。

始まりは日本の歌百選にも選ばれている唱歌「早春賦」。「春は名のみの 風の寒さや」と唄われる、まさに今の季節にうってつけの歌だ(ちなみにこの日は尋常ならざる強風、春の嵐に見舞われた)。今から100年以上前に作詞の吉丸一昌が長野県大町市、安曇野あたりの早春の情景を綴った歌で、タテとしては同じ長野県民として感化されるものがあったのかもしれない。

_93A9747.jpgこの日のタテは選曲の妙が際立っていた。市丸の歌唱で知られる伝統民謡「龍峡小唄」を生で聴くと、体内を駆け巡る日本人の血がホホイノサッサと騒ぎだす。小気味良いテンポが特徴の「峠越え」にも伝承童謡を思わせる旋律があり、「龍峡小唄」と地続きで否応にも胸が躍らされる。是枝裕和監督の映画『誰も知らない』の挿入歌だった「宝石」にはいつまでも色褪せない無垢の輝きがあり、スタンダード然とした堂々たる風格を備えている。「僕は 春をようやく 歩き出したとこだよ」と唄われる「君は今」にはこの季節ならではの陽だまりの暖かさと人肌の温もりをじんわりと感じる。出たしのめくるめくピアノの速弾きからサビで爆発する「誕生日」の緩急のついたドラマティックな展開は何度聴いても身震いする。

_93A9784.jpg澄み渡るソプラノボイスの強度が曲を追うごとに増していき、当初は若干硬かった場の雰囲気が徐々にやわらぎ、いつの間にか客席との一体感が強固なものになったのがわかる。最小限まで照明を落とした仄暗いステージでもタテが一曲入魂で歌に全身全霊を込めているのがわかる。感情の起伏がそのまま鍵盤に直結した音は喜怒哀楽に富み、満面に笑みをたたえたり、苦悶の表情を浮かべたりしているのが客席の後方からでもわかる。ピアノの歌だけのシンプル極まりない表現でも実に雄弁なのは、不器用ゆえに精一杯やるしかないと言わんばかりのひたむきなパフォーマンスに依る部分が大きいのではないか。

共演の吉野について語ったMCも印象に残った。「音楽を続けさせていただいている上で、10年くらい前に吉野さんが『もしお客さんが一人になったって音楽はやめないよね。タテさんはどう?』と話していたのを今も折にふれて思いだします。その言葉が路地裏から表通りへ連れだしてくれるというか、自分の背中を押してくれるところがあるんです」。『極東最前線』への出演をきっかけにパンクやハードコアの人脈が広まったタテにとって吉野は恩人であり、表現の基本は手づくりというDIYアティテュードを貫く先人でもある。命懸けで真心の歌を届ける吉野の存在が大いなる道標であることが窺える言葉だった。

_93A9789.jpgまだもう少しこの居心地の良い空間に浸っていたいところで披露された最後の曲は、現在公開中である内藤瑛亮監督の映画『ミスミソウ』の主題歌に起用された「道程」。過疎の進む地方の町を舞台に、壮絶ないじめを受け続けた転校生による残酷極まりない復讐劇を描いた『ミスミソウ』だが、エンディングで流れる「道程」が凄惨かつ過激な描写とは裏腹に得も言われぬ余韻を残すと評判を呼んでいる。厳しい冬を耐え抜いた後に雪を割るように咲く三角草(ミスミソウ)のように、耐えて咲かせる花もある。タテタカコの歌はそんな耐えて枯れそうな花に降り注ぐ雨水のようだ。七転八倒しながらどうにかこうにか生きている人たちの糧となるような、酸いも甘いも喜怒哀楽もすべて呑み込んだ大いなる人間讃歌だ。そんなことをあらためて実感したステージだった。

_68A9038.jpg続いてoutside yoshinoだが、なかなか最初の曲をやろうとしない。本番前に立ち寄ったという大衆居酒屋の話を落語のマクラのように滔々と話しだす。それは場内の空気と自身のチューニングを合わせる意味もあるだろうし、ソロの吉野のライブではMCも一本のライブのなかで大事なグルーヴなのだ。居酒屋でサラリーマンが株主総会の話をしていたという他愛のない話も、飽食の時代に餓死する人がいるのを自己責任と片づけられることに対する憤りも、その後に披露される歌と密接に結びついている。MCの言葉と歌の言葉は地続きだ。

おもむろに「冷蔵庫の中の中 開けてみたらばブタのキンタマ 牛のクソ」とザ・スターリンの「冷蔵庫」の一節を暗唱した後に披露されたのは「捨てて生きる」(未音源化)。過去は昨日までのガラクタとばかりにバッサリと捨て去ることを信条とする吉野らしい歌で、憂いを帯びたメロディと口笛が耳に残る。

_93A9885.jpgeastern youthの楽曲がソロで奏でられるとまた違った味わいを堪能できるのもoutside yoshinoの魅力で、昨秋発表された最新曲「ソンゲントジユウ」は原曲以上に鬼気迫るものがあった。生の実感を強く求める姿が一層際立ち、一糸まとわぬ剥き出しの感情が容赦なく突き刺さってくる。

いつものことながら、吉野のソロ・ライブはセットリストが用意されていない。予定調和を良しとしない彼の性分がそうさせるのだろうが、何が起こるかわからないライブ本来の醍醐味を味わえるのもoutside yoshinoの面白さだ。その日の天候、気温、本人のコンディション、場内の雰囲気、客筋と、あらゆる要素が噛み合って一期一会のライブが繰り広げられる。1+1=2にはならず、3にも4にもなる。時にはマイナスになるやもしれぬ。何ものにもとらわれず、その一瞬一瞬を掴み取る。それがoutside yoshinoの生演奏における妙味である。

_93A0069.jpgバンド名義でも後年発表されたものの、ソロの代表曲と言ったほうがしっくりくる「ナニクソ節」には客席から待ってましたとばかりの拍手喝采。それと相通ずるテーマを持ち、市井の人を画一的にスタンパーで型押しするような社会に対して「クソ喰らえだ!」と連呼する「まともな世界」もシンプルな弾き語りになったぶんだけ凄みが増していた。「冗談じゃねぇぞ馬鹿野郎 殺されてたまるか」と唄われる「ファイトバック現代」、音源とは異なるアレンジで披露された「有象無象クソクラエ」までが渾身のレベルミュージック・パートと言うべきか。

_93A9985.jpg個人の尊厳と自由を蔑ろにする社会に徹底して抗うのが吉野の歌の真骨頂ではあるが、本人は何事もトゥーマッチになるのを嫌う。魂のレベルソングが連なったのを気にしたのか、最近は自宅で好んで唄うという「心のこり」を続いて披露した。細川たかしのデビュー・シングルとは意外な選曲だったが、ささやくような歌声と靄がかったギターの音色が溶け合うと、時折アン・ルイスの「グッド・バイ・マイ・ラブ」を彷彿とさせる叙情性を醸しだすから不思議だ…と書くと言いすぎか。

_68A9128.jpgeastern youthでも五指に入る人気曲「夜明けの歌」で万雷の拍手が鳴り響いた後、この日のクライマックスが訪れた。吉野がタテタカコをステージへ呼び込み、二人が以前共作した「雨は五月に降る時を待つ」がよもや披露されたのだ。どことなく賛美歌を思わせる美しい旋律が特徴の同曲は、吉野の公式サイト『吉野製作所』内の「4tracks burning!」で試聴可能の未音源化曲。声質もキーも異なる二人の歌が共振・共鳴していたのが実に見事で、とても貴重で贅沢なセッションだったと言えるだろう。こうした嬉しいサプライズもまたライブならではの醍醐味である。

鳴り止まぬアンコールの歓声を受け、吉野が披露したのは「たとえば僕が死んだら」。この日の公演をブッキングした新宿LOFT店長・大塚智昭のリクエストだったという。歌詞のスクラップブックを探しても歌詞が見当たらないなか見切り発車で演奏されたが、発表から23年、もはやカバーではないもうひとつのオリジナル曲として認知されている不滅のスタンダードを堂々と唄いあげた。

_68A9175.jpg2時間以上に及んだ至福の時間を締めくくったのは、eastern youthでのライブでも最後に披露されることが多い「街の底」。今日もまたボトムオブザワールドを這いつくばって生きるぼくらのアンセムだ。誰かの背中を押したり鼓舞させるために歌を書くことはないと吉野は以前語っていたが、outside yoshinoであれeastern youthであれ、ぼくにとってやはり吉野の歌は切実なものだ。その切実な歌を生きる実感として受け止められるライブとは切実な空間なのである。だが、ライブが終われば長居は無用、各々が四方に散ってちりぢりになるのがいい。土手っ腹で受け止めた感情のたかぶりと余韻は一人で反芻するのが一番だ。すみやかに街の底へ還り、またどこかの地下室で出会い、喧騒を味わう。出会いと別れを何度も繰り返す。同じ空間に同じ顔ぶれが集うことは二度とない。ライブハウスはまるで人生の縮図のようだ。【取材・文:椎名宗之/写真:丸山恵理(LOFT RECORDS)】

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