爆音ルーム「ROCK HILLS」
どうするどうなるロックカフェロフト
なんとも私にとってはショックなのである。歌舞伎町のど真ん中に、約20坪弱のロックカフェを無理やりオープンさせたのは、今年の3月。それから3ヶ月間が過ぎ、どうも自分が勝手に描いた店のコンセプト、というかテーマ(夢か)の約半分は失敗したようだ。「新しいロックの時代を創造する」「ロックは、もはや喋る時代に入った」なんていうことが頭にあって、40数年前に都会の隅にあったロック喫茶や、ジャズ喫茶の風景を思い浮かべて居た。その時代、新宿・渋谷・吉祥寺などのロック喫茶では、学校が終わる午後3時過ぎには、もう高校生や大学生の若い客でいっぱいになって、爆音の中お喋りをしながら、みんなでレッドツェッペリンやピンクフロイドなんかをリズムをとって聴いていた。新しく勃興した新生ロックにみんなは夢中。ものすごい熱気だった。新しい洋楽ロックに興味津々だったのだ。もちろん、その時代は輸入盤が2,000円以上したし(当時の1日のアルバイト代が2,000円くらい)、ウォークマンはなく、ステレオも高くて買えない時代だったから、若い人は新しい音楽を求めて、普通の喫茶店よりも少し高いうえにまずいコーヒーを飲みながらロック喫茶に通っていた。
当時、ジャズ喫茶やロック喫茶の主人は、お客さんのリクエストと自分が、「さ~どうだ! この曲は!」と思う音楽を客にアプローチした。リクエストをまるっきり取らない店もあった。何人が飾ってあるレコードジャケットを見に来るか、若い子たちへの勝負だった。主人の腕の見せ所だ。「あの店はかける曲のセンスがいいよ」と言われたいのだ。
そんなことを思い描きながら、「今の若い子たちに、昔のように高性能スピーカーで、爆音ロックをアナログ盤で聞かせたいと思った。
人間交差点は成立するだろうか
まるっきりやってこない若い客
もはや、若者に対する反抗の音楽としてのロックは、ラップやヒップホップに敗北しているのだろうか? 爆音で今はやりのアナログ盤でロックを聞かせたくて、二階には高性能スピーカーによる「爆音ルーム(ROCK HILLS)」まで設置したのだが、そんなことは全く意味がなかったのだろうか? 近くのコメダ珈琲より安くコーヒー代は400円としたが、そんなことに若者たちは興味をそそられなかったようだ。
それでも頑張るロックカフェロフト~ロックカフェもうひとつのテーマは人間交差点
もう今の若い子たちは、ひとつの空間で、「みんなでロックを聞く」ことを楽しむなんていう感性は無くなってしまっているのだろう。ましてや各種音源がネットで、無料で手に入る時代なのだ。そういう空間に来る必要性がないのだろうか。
さて、ロックカフェのもう一つの大きな営業的柱は、毎日色々なジャンルの人をナビゲーターとして招いて、その時のテーマを決めてもらって、その人の音楽にはまったうんちくや人生を聴きながら、一緒に食べ・酒を飲み、語り明かすという趣向だ。
店では毎日(午後6~10時)、ナビーゲーターによるうんちくや、「音楽論」が展開されており、それは実に面白いのだ。その人が歩んできた音楽人生を聴き、なぜこの楽曲にはまってしまったのかを知ったあと、実際に爆音で聞くのも実に楽しい。この空間には、音楽家、音楽に関係してきた人たち、落語家から政治家、俳優、ゲイ、死体趣味者、AV女優、アイドルとあらゆるジャンルの人たちが出演し始めている。ナビゲーターによるライブが終わってからも、深夜2時まで営業は続く。深夜の営業も、酒を飲みながら、「音楽論」や「バンドやろうぜ」に話が進んでゆくのを期待したいのだが。
この新しい試み、雑多な「人間交差点」は成立するのだろうか? ここでなにかが生まれ始めたら私の勝ちだ。
1976年12月号の森田童子インタビュー
伝説の森田童子の死
森田童子が引退してから10年後、テレビドラマ『高校教師』の主題歌「僕たちの失敗」がブレイクしたが、森田童子自身の復活はついになかった。彼女は、73年西荻窪ロフトのデビューから、84年新宿ロフトでの引退宣言まで、最初から最後まで私が見届けた本当に数少ない音楽家だった。そして彼女は死んだ。
73年、夏に近い梅雨の蒸し暑い夕方だった。一人の無名な少女が西荻窪ロフトにやって来て、「私にも歌えるのでしょうか」と一本のテープとともに、静かに控えめに聞いて来たことを今でも覚えている。彼女のテープは暗い歌だったが、その歌詞の内容が私の青春時代とものすごくリンクしていて、びっくりしながら聴いていた。
76年から80年代はまさにロックの時代だった。新宿ロフトは全盛で、ロフトに出なければロッカーじゃないとまで言われた時代だ。ブッキング担当者からは、「今、森田童子なんてスケジュールに入れたら業界から笑われます」とまで言われて絶句したことがあった。
彼女はとても不思議な人だった。いつも孤立無援だったような?
「君の過去に一体何があったんだ。こんな詩、誰もが書けるものじゃない」と何度か彼女に聞いたことがあった。そんな時、彼女はニコッと笑って話題をそらした。多くのロックファンやライブハウスの中で、私ひとりが森田童子を支持していた感があった。
来場するお客さんは、若くてどこか暗く、ヒッピーぽくって文庫本を持って、頭を下げ気味に、薄敗れたコートを背負って、静かに誰とも口も聞かず座っていた。森田童子の死により私の青春の一コマがポロリと落ちた。合掌。