伊豆半島南部で2月に咲く早咲きの河津桜
人生を濃密に生きるとは?
「生命は尊くも卑しくもないただの自然現象です」「死というのは人間の意志と理解を超えたところからやってくる出来事」とは、2007年、40代で亡くなった哲学者・池田晶子の言葉であるけれど、私は幸運にも70歳を越えるまで生きてこれた。
20代の頃、70歳という年齢は果てしなく遠かったように思う。早いか遅いかに過ぎない私たちの「死」というものの「絶対性」を前に、私たち世代の死を強く意識するようになった。そう、我々の世代は間違いなく早晩滅びてゆく存在なのだ。残された時間の中で友情を深める一方で、その友人たちの一つ一つの死を前に「次は自分の番だ」という思いが、否応なく押し寄せてくる。
死に向かって何を準備すればいいのか。残された時間をどう生きるか。歳を取るとやはり、強く考えるようになった。力の及ぶ限り豊かに、生きる希望を持ち、深く、生産的に生きること。無駄なことをする時間はない、心を向けるべきは自分自身だ。「私は果たして〝今〟〝現在〟を濃密に生きているのか?」と問うた時、「自分が今いる、生きているということはどういうことなんだ?」という葛藤がある。その上でやはり、「何のために生きるのか?」が重要なのだと思う。
お彼岸を迎え墓に参る
歳のせいか、お彼岸になると自然に墓参りができるようになった。
お墓には、私の明治生まれの父と母と、そして戦後すぐ3歳で亡くなった私の双子の兄弟と兄の息子が眠っている。
京王線の高尾駅から山道を30分ほど歩くと、あたりは墓地群だ。この辺はとても強い磁場があって、私の身体はそこから発せられる負のオーラに支配される。とても変な感じで気が張り、疲れる。
そんなことをつらつらと感じながら、私は墓石を前に「親父、お袋、また来たよ」と話しかける。なんだか、手を合わせていると色々な会話が生まれる。
混血児の親父、クオーターの息子である私。……奇妙な人生を送ったな。
終戦後まもなく亡くなった双子の弟には、「あんたが生きていたら、きっと自分の人生は変わったものになっていたに違いないよ。残念だな。双子って面白かっただろうに」と語りかけたりする。
葬式無用、戒名無用、骨は散骨──なんて、白州次郎ばりに思っていたが、やはりお墓が欲しくなった。私がいなくなった後にも、私のことを思い出してくれる親族や友人のためにも。
墓参りをする平野さん
オウム事件から20年
3月12日、ロフトラジオで「やや日刊カルト新聞」(カルト教団、特に幸福の科学やオウム真理教などを追求する新聞)の総裁・藤倉善郎さんを招いて、20年前の3月に起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件を考える番組を放送した。
その次の日、日テレ「バンキシャ!」からインタビューの申し込みがあった。数年前に私が元オウムの上祐史浩氏の主宰する団体「ひかりの輪」による、聖地巡礼ツアーに参加した時のことを語ってくれ、というものだった。
きっかけは、2010年7月21日、Naked Loftで行われた「オウムって何?」というイベントだった。出演者は、上祐史浩、広末晃敏(ひかりの輪広報)、野田成人(元オウム最高幹部・現フリー)、岩本太郎(ジャーナリスト)、鈴木邦男(一水会顧問)、そして私。ニコニコ動画やUstreamでのライブ中継の視聴者が4万人を超え、ちょっとした話題にもなった。
私はその時、上祐さんとは初めて顔を会わせたが、大きな衝撃を受けた。気功やヨガ、精神世界の分野に少しでも触れたことがある人はわかると思うが、上祐さんの存在感とそこから強烈に発せられるオーラの「波動」が私を直撃し、「この衝撃はなんだ!?」という驚きがあった。その日以来、私は宗教者・上祐史浩に興味を持った。
その年の終わりの11月、ひかりの輪広報の広末氏から、「ひかりの輪の聖地巡礼に参加しませんか」というメールをもらった。私は好奇心も手伝って、ロフト映像部のジャムオにビデオカメラを持って同行させ、参加した。
聖地巡礼の目的地は日光だった。参加者は約30人で、女性が半分ぐらいいた。神社、仏閣を訪れるそのグループの姿は、一見、普通の団体観光客や宗教団体と同じだった。上祐さんの「講話」も、寺の坊主が喋るものとほとんど同じで、「感謝と親切=信じる心」なんて風で、別にこれといって目新しいものではなかった。
緑に囲まれた杉木立や中禅寺湖のほとりでの瞑想などを体験して、温泉宿で一泊した。私を含めた一般参加者は、宿代は素泊4500円、夕食代は2000円。信者の人たちは400円のノリ弁と雑魚寝で、私たち一般参加者とは違って実に質素だった。
さて、「バンキシャ!」のインタビューだが、私には、とにかく番組側の筋書き通りにしたがる、悪意に満ちたものとしか感じられなかった。私が、あまりにもひかりの輪の悪口を言わなかったせいなのだろう。結局、インタビュー収録の翌日、「使わないことになりました」との連絡があった。
早春の下町を散歩する
早春の日曜の午後。曇天だがポカポカ陽気に誘われ、谷中を散策。東京の下町は、私が愛する武蔵野と違って、緑が少ないことで敬遠していたけれど、散策すれば楽しいところはたくさんある、と感じた一日だった。
谷中のメインストリート・谷中銀座は、ほんの100mぐらいの商店街なのだが、商店主の意志がしっかりまとまった統一感のある通りで、多くの人々で賑わっている。
そして、この界隈は猫の聖地らしく、看板もお店で売っている商品も、猫がらみのものが多い。たい焼きに天然かき氷に……。そんな店先を眺めながら、歩いてゆくのは楽しい。
商店街を少し離れると、谷中霊園。その一部は、徳川将軍家の菩提寺・寛永寺の墓地だ。15代将軍・徳川慶喜さんの墓を見て、ラブホテル街の日暮里の裏通りをひやかし、上野公園を抜け、アメ横や御徒町方面へと歩いていった。
谷中銀座の日暮里駅側の入り口「夕焼けだんだん」
谷中銀座にはいたるところに猫がいる