日本は脱原発に向かっているのか?
先日行われた東京都知事選挙は、自民、公明推薦の舛添要一氏が211万票以上を集めて当選。史上何番目かの低投票率、そして極右の田母神氏が60万票も取るという驚きの結果になった。
今回の選挙の最大の焦点は「原発問題」だったはず。細川・宇都宮両陣営はしきりにそれを訴えたものの、マスコミの作戦もあってか(?)、一方通行の感が否めず、きちんと争点化されたとは言い難かった。「東京世界一」「史上最高のオリンピック」など、舛添氏の主張はいずれも、私には空虚なものに思えて仕方がなかった。
3年経ってもいまだ汚染水を垂れ流す福島原発に、世界中が恐怖している。もし、真下に活断層があるといわれる静岡県の浜岡原発が地震被害にあったら、東京は30分で壊滅するという説もある。いまだに仮設住宅で暮らさざるをえない、故郷をなくした福島県民のことを語る都会人は少なくなった。
菅元首相の脱原発の決意
選挙が終わって約1週間後の2月15日、ロフトプラスワンにて菅直人元首相著『原発ゼロの決意』(七つ森書館)の出版記念トークライブが開催された。
ゲストは「脱原発をめざす首長会議世話人」で湖西市長の川上元さん。毎週金曜日、官邸前で抗議の声をあげている「首都圏反原発連合」のMisao Redwolfさん。司会は作家の中川右介さん。
実はこの本の中には、昨年プラスワンで行われたトークが収録されていて、これには私も参加している。実に名誉な話だ。
この日、菅元首相は新たに発覚した隠蔽事実に興奮していた。
「(福島第一原発で)燃料棒プールが空焚きになった時、隣のプールが破損していて、本来流れてくるはずのない冷却水が偶然、流れて来た。不幸中の幸いというか神のご加護というべきか、その水が空焚きを抑えた。もしそれがなかったら、東京は30年は住むことが出来なかった」
なんとも恐ろしい話だ。そしていまだに福島原発の危機的状況は続いている。そういった危機感を都民が共有していれば、こんな選挙結果にはならなかったと思うのだが。
細川・小泉連合は、確かに結果は3位、90万票に届いた程度だ。しかし、2位の宇都宮候補と合わせれば180万票を超えている。震災から3年目を迎えようとしてようやく世論は変わり始めた面もあるのだろうか。政治やメディアなどによって隠されていた「フクシマの嘘」も暴かれ始めている。反原発に熱心なルポライター・鎌田慧さんは今、「原発ゼロでオリンピックを迎えよう」と声を嗄らして叫んでいる。
左からMisao Redwolfさん。菅元総理、司会の中川右介さん
降り積もる雪に46年前のバリストを思い出す
2月、東京は2週連続で大雪に見舞われた。私は、都会に時たま降る雪が大好きだ。2週連続で雪の中1時間以上かけて、散歩しながら銭湯に向かった。
いつの間にか、46年前の大学時代に私の意識は流転する。
私もまた、当時多くの青年がハシカの様にかかった「マルクス主義」の洗礼を受けていた。「マルクスやレーニンのいう『労働者国家』を作ろう。今こそ革命を!」なんて叫んでいた。
学費値上げ反対、学館の管理運営権奪取などを掲げた、全学バリケードストライキ闘争。私達は意気軒昂で、右翼や機動隊導入に備えて学内に籠城していた。あの年の冬も、東京には何度か大雪が降った記憶がある。
当時の学生運動(全共闘)は、かろうじて一般学生の支持を得ていた。毎日、何百人もの青年が学内に泊まり込んでいた。校内では集会があったり、学外から講師を招いて自主授業を行ったり、実に生き生きとした毎日を過ごしていた。正月は餅つき、大雪の夜は紅白に分かれて中庭で雪合戦をした。
そして、学費値上げ闘争では白紙撤回を勝ち取った。生き生きはしていたけれど、ちょっと物悲しい青春だったな。
大雪が2回も。うれしくって雪の中をはしゃいでしまう
つむじ風になって吹き付けてくるビル風に震えながら、明るすぎる都会の寒さの中でぼんやり。どこにエネルギー危機があるのか? 節電なんて誰もしていない。なぜ、引き換えに命に関わる原発を動かすのか?
大阪のLOFT PLUSONE WESTオープンまで、あと50日を切った。オープニングスケジュールがもうすぐ発表になるが、今大阪の現場では工事の真っ最中。東京の事務所では4〜5月のブッキングはじめ、諸々の準備で大忙しである。
私も3月には大阪に常駐しなければならない。大阪発の文化を体現したい。私は大阪をほとんど知らない。友達もいない。経営的に成功するかしないかも全く解らない。はたしてお客さんは来てくれるのかどうかも解らない。でも興味津々である。
東京キネマ倶楽部でのソウル・フラワー・モノノケ・サミット(MCで撮影OKと言っていたはず)。久しぶりに中川敬の『満月の夕』を聞いた。いいライブだったな