ロフトプラスワンが新宿(というより四谷に近い)富久町にできたのは1995年。阪神・淡路大震災、オウム事件が起き、「終わりなき日常」という言葉が生まれ、女子高校生達が下着を売るブルセラが話題になった。今から18年も前になる。
「トークを聞かせるライブハウス」という試みは、世界初だと言われた。新宿の片隅、キャパ70人にも満たない隠れ家的な店で、「新宿情報発信基地」なんてキャッチフレーズを名乗っていた。1998年には歌舞伎町ど真ん中、コマ劇場前に移転、キャパ150人にもなった。
プラスワン開店以降、ラジオ、テレビ中心の「トークライブ」ブームはあったが、ロフト以外で、毎日イベントを行う常設のトークライブハウスはあまり誕生していない。そんな中、2004年には新宿百人町にNaked Loft、2008年には阿佐ヶ谷ロフトAと、ロフトはトークライブハウスを次々と出店していった。現在、ロフトグループでは毎月、3軒合計100本以上もの驚異的な数のトークイベントを行っている。
市民権を得てきたトークライブハウス
プラスワンでは様々な社会的風景をステージに載せてきた。その出演者の数も膨大だ。街の隅々に息づいている、あるいは埋もれている日本のサブカルチャーを発掘する旅に出たい。それが私がプラスワンを立ち上げた時のイメージだった。始めてみると、大手マスコミでは観ることが出来ない、面白いことはたくさんあった。町に息づいている何か、ありふれた風景、消し去られようとしている真実。ありとあらゆる世界のコミュニケーションの輪が広がる空間を目指した。
とてつもなく不思議な人。日本の行く末を憂いている人。限りなく奥の深い、いぶし銀のこだわりを持った人。愛すべきオタク。失われ見捨てられてゆく日本の貴重な文化、エロ道に長けた妖しくも奥深き群れ。「自分はこの半世紀以上にも及ぶ人生で、何も見ていなかったんじゃないか」と思うほど、毎日が興奮の連続であった。
店を続けてゆくにつれ、来店するお客さん達も変わってきた。プラスワンではトークの最後には必ず、「質問、疑問、討論コーナー」を設けていた(これは基本的に今も変わっていない)。当初ほとんど手が上がらなかったが、そのうち活発な意見が飛び交うようになった。壇上の出演者がタジタジになることもしばしばだった。
お偉い先生のお説を有り難く聞く講演会ではなく、お客さん自身も参加するface to faceのトークのダイナミズムは、評判を呼んだ。本音と本音がぶつかり合う。そこに多少のお酒も入って、さらなるエキサイティングな光景を生み出す。「君の気持ちも解るよ」「ま、いいか」で終わってしまう、今どきの若者達に対しての、ロフトの限りなき挑戦でもあった。「トークするなら曖昧な形で終わるな」というのが、ロフトからのメッセージだ。基本コンセプトは「タブーなき言論空間」だ。
大阪は宗右衛門町。古い昔からのクラブが沢山あって、歌舞伎町に似ているな
いざ大阪に出店! その名は「LOFT PLUSONE WEST」
昨年、ピースボートの世界一周クルーズの船上、広大な七つの大海を眺めながら、私は「大阪にトークライブハウスを出して、東京と大阪をトークの世界で繋いでみたい」という強い誘惑に駆られた。
Nakedや阿佐ヶ谷の時も同じ思いだったが、もうすぐ70歳になる私にとって、本当の意味での「最後の挑戦」だ。ふつふつとその思いが湧いて、止まらなくなった。
大阪と東京をトークで繋ぐ。人の交流を発展させる。その時々のシーンを、ライブハウスの現場だけでなく、ネットを通じて全国に拡大再生産し、時には社会運動ともつなげる。素晴らしい!
昨年の夏以降、私たちスタッフは現地に何度も足を運び、物件を探し続けた。そして大阪ミナミの宗右衛門町に、私たちはプラスワン規模の物件を確保するに至った。
オープンは今年4月の予定だ。ロフトが東京で18年間育んだ、トークライブに関する知識やスタンスそのものを、ダイレクトに大阪に持っていってみよう、と思っている。
一方で、関西文化がちゃんと解っていないから、大阪に一つの拠点をもってみたい、という実験的な思いもある。完全なよそ者のロフトは、たたき出されるかも知れない。それでも良いと思っている。
大阪に東京を持ち込んだら無視されるのか? 月40本近いスケジュールは組めるのか? 費用は? 赤字はどのくらい続くか? 考え出したらきりがなくなった。
このビルの3階に入店する
元ロフトのテツオが高円寺に小さなトーク空間を開店
ロフトの一員として、Naked Loft、阿佐ヶ谷ロフトAの初代店長を歴任してきたテツオが独立し、2013年11月、高円寺punditというトークライブハウスを開店した。大したものだ。高円寺北中通りの奥、素人の乱、脱原発杉並界隈での出店だ。
2007年、元プラスワンの店長・横山シンスケがお台場で、東京カルチャーカルチャーを開店させて以来の快挙である。18歳の時、九州からロフトプラスワンにあこがれてやって来た青年は、アルバイトから始まり10数年を経て独立することになった。私もうれしい限りだ。読者諸氏も是非、店に足を運び応援してやって欲しい。
テツオも37歳、妻子持ち。後戻りは出来ぬ。ここが肝心。心から仕事に励むこと