心、守っていますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
よく「心を開こう」という考え方を耳にしますし、小さいころから言われることも多かったです。そういったとき、たいてい相手は少しイライラしているように思えます。優しく笑っていたり、穏やかな口調でも、「これは善意です。あなたのためなのだから。そのほうがいいのだから!」という心の中のイライラが透けて見えるようでした。「こんなにしてあげているのだから心を開いて」、つまり、「わたしの思い通りに動いて」と言われているような気がするのです。
今まで、なにかとそう言われがちだったわたしですが、特に心を閉じているつもりはありません。「絶対に手の内を見せないぞ」なんて思ったこともないですし、むしろ、できることならば全員に分かられたい、そして人のことも分かれたらいいのに! と思っている側です。しかし、わたしたちはそれぞれ、人に話したくないことがあります。触れられたくない思い出もあります。いつかは話そうと思っていても、それは今じゃなかったりします。
学校のクラスに40人いたとしたら、40人全員と友達になることは無理です。全員が誰かの家に集まって一緒に遊んだりはしないでしょうし、全員で旅行に行ったりもしません。一緒に何かするなんて、強制発動する体育の時間の大縄跳びくらいです。それなのに40人全員に心を開くなんてもってのほかです。
少女マンガが好きなクラスメイトに好きなプロレス技の話をしてもお互い「ん?」となるだけですし、自分の苦手な映画の話題に加わって、どうして苦手なのかを話したらお互いが嫌な気持ちになってしまいます。自分の苦手な映画を好きな人もいるんだな、とスルーをすることは、相手の存在を消したり無視したりすることとは違います。目の前で転んでしまったら、「大丈夫?」と声をかけますし、「あの映画好きなんてむかつく」なんて思いません。
それでも時々出会ってしまうのです。みんなが一丸となってワイワイしないと気が済まないタイプの方に。それは先生だったり、サークルや社内のリーダー格の人だったり、まとめる役を担っている人の場合が多かったです。
「みんな仲良く」とは、みんなが一緒に仲良く遊ぶことではなくて、「みんながそれぞれの好きなことを大事にして、相手の存在を否定しないこと」ではないかと思うのです。少女マンガを捨てさせてプロレス技講座を開いて洗脳することではなく、苦手な映画を無理に好きなろうと我慢することでもなく、それぞれが「あの人は◯◯が好きなんだな」と思って終わることこそ十分な受け入れではないでしょうか。
問題は、こういったことを説明をするのに多くの言葉数が必要だということです。会話でものごとを伝えるスキルの低いわたしはなかなかうまく伝えられなかったりします(一丸となりたい派の人にはヤなやつに思われることもあるのだろうな、ちゃんと伝わったらいいな)。
自分の内面なんて、自分の好きなタイミングで、自分が話したいと思った人にだけ話せば十分です。100人いたら100人全員に心を開く必要はないですよね。この人は! という人がいたら、そのときだけで十分。なんなら、偽名のSNSの中だけでもいいとさえ思っています。
心は好きなときに開いて、開きたくないときは大事に守っていたいものです。お互いに。
「ほたる」/ 吉田諒(ネズミハナビ)×成宮アイコ
Aico Narumiya Profile
朗読詩人。「生きづらさ」や「メンタルヘルス」をテーマにした詩の朗読をしたり、文章を書いている。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。赤裸々な言動により、たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと心に決めている。趣味はアイドルとプロレス。