自分は悩む価値がないなんて思ったことはありませんか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
先月号は「『みんな頑張っているんだから』という呪い」というタイトルで、人の頑張りや悩みを「他の人はもっとやっているんだから」=お前ももっと頑張れという圧力について思うことを書きましたが、今回はその逆のお話です。
とても落ち込む出来事があったとき、外に出かける気持ちにも誰かに会う気持ちにもなれず、とりあえず愚痴でも吐こうかな……とSNSを開くことってありますよね。なんとなくスクロールをしていると目にとまるのは、世界中で起こっている深刻で壮大な(ように感じる)悩みや事件です。「他人はもっと頑張っているという呪い」にかかっているわたしたちはどんどん自己評価を下げ、他人の深刻で壮大な(ように感じる)悩みに比べて、これくらいのことで自分なんかが悲しんではいけない、と思ってしまう「自分なんかが……の呪い」を併発しています。
「みんなはもっと頑張っているんだから」と言われがちな雰囲気により、自分が落ち込んでいるときですら「みんなはもっと悩んでいるんだから」あるいは「みんなはもっとたいへんなんだから」と思ってしまうのです。自分なんかが愚痴を吐くわけにはいかない、と我慢をし続け、言葉を押し込め続けます。
人は一番大切なもの、重きをおいていることがそれぞれ違います。仕事が生きがいで自己実現パワーにより輝く人、家庭が大切だから仕事の時間の困難は無にできる人、その日暮らしが合っていて最低限のお金さえあればいい人、とても仕事ができない鬱状態でSNSが命綱の人、学校が大好きな人、ひとりでいる時間が安心する人、逆にひとりが苦手で四六時中誰かと一緒にいたい人……どれも全部その人自身の基準です。何も間違っていません。自分が一番大切にしている基準があるように、人にはそれぞれの大切な基準があるのです。
子どものころからずっと一緒にいる犬が病気になった人に、犬を飼ったことのない人が「そんなことで悲しむな」とは言いません。命について悲しみの想像がつくからです。しかし、同じように誰かが悲しんでいるとき、たかが恋愛、たかが悪口、たかが数年で終わる学校、たかが人間関係、などと言ってしまったことはないでしょうか。
虫が嫌いなわたしは、アリが靴に乗っただけで全身殺菌をして真っ白の部屋に閉じこもりたいくらいの衝撃を受けるので、虫が好きな人には「こいつヤバいんじゃないの?」とうつることでしょう。同じ出来事に対して、わたしたちはそれぞれ感じ方が異なります。虫が苦手なわたしにとってアリは脅威です。速攻でSNSに「アリ無理!」と書き込みます。
同じように、あなたが感じた傷ついた気持ちや悲しみは、確実にあなたが感じたことです。誰かと比べて「これくらいで自分なんかが弱音を吐けない」と申し訳なく思うことはありません。本人自身が受けた感情に、他人は口出しもレベル認定もしてはいけないと思うのです。励ますことも大切ですが、誰かの確かにそこに発生している感情の否定だけはしないでいたい。せめてそのくらいの思いやりという想像力を持っていようね、と自分にも戒める毎日です。
詩ステッカーに新作が増えました
Aico Narumiya
赤い紙に書いた生きづらさと人間賛歌をテーマにした詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。こわれ者の祭典・カウンター達の朗読会メンバー。朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ、新潟・東京・大阪を中心に全国で興行。赤裸々な言動により、たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと心に決めている。「詩の朗読であなたを人生の当事者にしたい」