理想像、ありますか? こんにちは、朗読詩人の成宮アイコです。
前回のコラムには、どこかに属したいあまりギャルになったりバンギャを目指したり『CanCam』を読んで赤文字系になったりしたお話を書いたのですが、今回は内面、ライフスタイルについてです。
子どもの頃に想像していた大人の自分像ってありますよね。わたしも理想像をずっと持っていました。
家族のしがらみなく、血縁を愛し、友人のことは仲間と呼び、地元大好き故郷愛してる、18歳で鳶職もしくは土木建築系の人と結婚をして子どもを産んで、年に一回はミラコスタに泊まって、休日はカフェを巡ってディズニーショップに立ち寄り、やんちゃをした昔のことを少し恥ずかしがりながら成人式で髪を黒く染めて、30代になったらオーガニックコットンのシャツを着て、休日は山登り、庭ではハーブを育て、趣味で陶芸なんかもやっている予定でした。
だがしかし、これらの理想にはひとつも当てはまらない人生を歩んできてしまいました。生まれ育った地元には地獄のような記憶ばかりのため、半ば逃げるように引っ越してきたわたしは今、救急車とパトカーが5分に一度はサイレンを鳴らす街で、震度2程度の地震でもわりとびっくりするくらい揺れる雑居ビルで蛭子さんイラストのパーカーを着て、こうしてキーボードを打っています。
ディズニーキャラクターは顔がこわくて苦手です。一度、このビルの入口で強面の警察関係の方々が明らかに指紋をとってるところを見たときは、多少ビビりましたが、あーおもしろいなと思いました。ビル内には深夜営業の病院があるので、真夜中でもジャージ姿の若者たちがマスクをしてエレベーターに乗っています。こんな職場環境を、わたしはとても気に入っています。そして、気に入っていると同時に、いい加減に理想の幸せ像を諦めるときが来たのだなとも思っています。今回の人生ではもう無理です。来世で頑張ります。現世は夢です。
諦めどきということも、今の自分が幸せに感じることが自分にとっての幸せだとは頭では理解しているのですが、もうひとつのパラレルワールドに生きる理想の人生を歩む「成宮アイコ」が頭から離れずにいます。理想の幸せに引きずられそうになります。どこに行ってもどこかに帰りたいような気持ちがするのです。一体わたしはどこに帰りたいと言うのでしょうか。そんなところないんだよ! っていい加減言ってあげたいものです。
なりたい理想の幸せ像と、自分が実際に感じる幸せの不一致は、みなさま一体どうやって処理をしているのでしょうか。自分の幸せに素直になるということは、なぜ心の半分では不幸せでもあるのでしょうか。けれど、どんなに葛藤をしながらもわたしたちは後者の「自分が実際に感じる幸せ」を選んでいかなくてはいけないのです。
でも、やっぱり生まれ変わったら10代で結婚して、友人を仲間と呼び、鳶の人と結婚をして、自分の生まれ育った土地を愛してみたいなぁと思うのです。