生きていると奇妙な瞬間に立ち会うことがあります。
デジャヴって皆様ご存知ですよね? あれの鮮明版というか、初対面なのに「私、この人会ったことある」という気持ちになる時や、デジャヴって一瞬だったりしますがそれよりも長いシーンで「これ、前も経験した」なんてことが昔から多々あります。
先日も新作のMVの撮影をしていた時に「あ、私これ知ってる。このあとどうなるか知ってる」というシーンがありました。しかも割と長い時間、「次は天馬がこういう動きをして、その時にけいさまがこう言うんだよね」というようなことまで覚えていました。まぁ、その場では言わないんですけど結構よくあります。もう何度も経験しているので特に驚くこともないし、そこで私が「これ知ってる!」とか言ってしまうとその後の人生や歴史を変えてしまうのではないかと大げさに考えているので黙っているようにしています。
なぜなら昔、不用意に「あ! 今の夢で見たかも! 次はこうなるよ!」などと発言したことによって「え〜、すごーい!」みたいな感じで周囲がざわつき、その後の流れが変わったなと感じたことがあったからです。
「あ、言わないほうがいいんだな」となんとなくですが思うようになりました。
よく漫画や小説や映画の世界で、主人公がタイムスリップして歴史上の人物と出会い、関わってしまったことにより歴史が変わってしまうみたいなストーリーがあると思うんですけど、それの小さい版って日常の中で頻繁に起こっているのではないか? と考えています。
それはデジャヴでも何でも含め、自分自身が今日何を着るかとか何を食べるか、何処へ行くかなど毎日の大量の選択肢の中で「何を選ぶか」によってほんとに大げさじゃなくて人生や歴史って常に更新されているような気がするのです。
話が少々脱線してしまうかもですが、自分の人生って、自分の意志で生まれたわけじゃなくても生まれてしまったからにはその後は自分の意志で何事も決めていかないといけないし、やっぱり人間って自分自身の想像力の中でしか生きられないんだなって思うのです。
マザー・テレサも「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」という有名すぎる名言を残しておりますが、まさにその通りで、人間は普段考えていることの運命しか辿れないと思います。
人間は基本がマイナス思考で出来上がっているらしく、無理矢理じゃないと心を前向きにできないそうです。私自身も毎日のようにネガティヴに陥ります。盛大に毒づきたくなることもあるし、マジで全員ぶっ〇すというような物騒な気持ちになることも多いです。
でも、その後に必ず「こういうことがあるとこういう気持ちになるんだ、それを教えてもらえてラッキー」「あの人のあの発言が頭に来たけど、そういう意見もあるって知れて良かった」などとポジティヴに書き換えるように努めているつもりです。
そうしないとネガティヴな感情を抱えて生きる人生のレールを敷かれてしまう気がするのです。そんなのは絶対いや。最後に笑うのは私だ! とその後の自分の歴史を変えるため、なるべく「そういう経験ができてラッキー」と思うようにしています。
しかしながらよくよく自分の人生を振り返ると、かなりラッキーな部類だと思うし、珍しい経験もたくさんさせてもらってるし、やっぱりなんだかんだいってミュージシャンとして活動させてもらっている上で「夢の中で聴いたあの良い曲はいったい誰の曲だろう?」という音楽が、実はその後自分たちが作った曲だった、という経験をさせてもらえているのはものすごく幸せなことだなぁと思っています。