人間不信と言えば大袈裟ですが、私が人のことって信じられないなぁと思った決定的な出来事って中学二年に上がった頃のあの時のことかなぁと思うのです。
もちろんそれまでもちょいちょいそういった「あれ?」というようなモヤモヤが残るようなことも、小学校の時に不登校になった原因のいじめのこともあるのですが、小学校のいじめの時のこともそれはそれは鮮明に覚えているのでいつかコラムにすべて書いて成仏させようと思っておりますが(私、本当に執念深い嫌な女だね!)、きっと、あの中学二年の出来事は決定的に「もう誰も信じない...」と爆発した出来事だと思います。
私は中学二年に上がるまでクラシックバレエを習っていて、ジュニアバレエ団にも所属し、順当に行って「このままここのバレエ教室の先生や団員になるのだろうな」と漠然と将来を思い描いていたのですが、いろいろあり割愛しますが(本になった『バラ色の人生』を読んでね!)結局辞めることになって、人生での挫折に似たようなものを初めて味わい、そのまま何を目標に生きていいのか全く分からない暗黒の時代に突入しました。
当時、同じバレエ教室に通っていて、中学進学と同時にお教室を辞めた同級生のお友達がいました。Aちゃんとしましょう。彼女がバレエを辞めてからも仲良くしていたので(と、私は思っていた)、バレエを辞めることがこんなに絶望的で辛かったのか...と私はAちゃんに電話をして、とにかく辞めてしまって辛い、でも辞めることを辞める勇気もないなどと泣きながら話した記憶があり、Aちゃんもこんな気持ちを味わっていたのか、辛かったね、辛いようと、Aちゃんも気持ちが分かるよなどと言ってくれて、心から救われました。
そして、Aちゃんは部活で1年から吹奏楽部に入っているのだけど、打楽器のパートが少ないから良かったら気晴らしに部活を始めないか? と誘ってくれました。
なんとありがたいと思い、バレエのために帰宅部だった私は初めてクラブ活動の手続きをし、打楽器パートで吹奏楽部に入部しました。
Aちゃんはドラムを少々叩けるようになっていて、すごくかっこいいなぁと思いました。打楽器の人数が少ないから私にもすぐにパート割がされて、これが良くなかったのでしょうね。Aちゃんたちは先輩がいた時代にはずっと練習で、すぐにパートの振り分けはされなかったのですが、私はそのいわゆる下積み時代なしでいきなり担当パートがついてしまい、個人的には勝手も分からないので必死でしたが、彼女たち1年からやっている子からしてみたら「あの子いきなり入ってきて、おいしいとこ取りでなんなの?」ということになりますよねそりゃ。
Aちゃんたちはだんだん私から距離を置いていき、話しかけても無視されるようになり、まぁ仕方ない、とそのまま孤立した状態で何度か発表会みたいなので演奏していました。
以前、バレエを辞めてから時間ができて詩を書いている話をAちゃんにしたのですが(←冷静に考えると非常に中二病的である)、ある土曜日の部活時、クラブのみんなでお昼を取っていた時に(なぜか吹奏楽部はお昼に全学年が輪になってお弁当を食べる儀式があり苦痛でした・笑)Aちゃんが唐突に私を見ながら「家で一人で詩とか書いてるやつってキモいよね」と言い放ちました。
「キモーい」「根暗って感じ」などなど周りの人たちは同調していき、私はそこでプツンと何かの糸が切れました。
「特別気持ち悪いことだとは思わないけど。そういうことをこういう場で発言するほうが気持ち悪いだろ」
場はシーンとなりましたが、すぐに他の話題に移行しました。
しかしながら、この時Aちゃんと浜崎の戦いの火蓋は切られました。わ、次回へ続くのかこれ!?(続く)